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2019年度 関西支部春季大会 研究発表募集

2018/10/06 13:24
 日本近代文学会関西支部では、2019年度春季大会における自由研究発表を募集致します。支部会員の皆様の積極的なご応募をお待ちしております。

○開催日 2019年6月8日(土)

○会場 奈良女子大学

○応募締切 2019年2月10日(日)必着

○応募書類 発表題目、要旨(600字程度)、連絡先(電話番号、メールアドレス)

○発表時間 30分程度

○送付先 日本近代文学会関西支部事務局
 〒602ー8580
 京都市上京区今出川烏丸東入ル
 同志社大学 日本語・日本文化教育センター
 弘風館505  木谷真紀子個人研究室内

○お問い合わせ kindaikansai[a]gmail.com
  ※[a]を@に読みかえてください。

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会報28号

2018/10/06 13:15
2018年10月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。

こちらからPDFデータでご覧いただけます。
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2018年 日本近代文学会関西支部秋季大会 講演

2018/10/02 19:25
○大正震災後、関西文芸の海洋体験
根川 幸男

〈講師プロフィール〉
 一九六三年大阪府生まれ。サンパウロ大学哲学・文学・人間科学部大学院修了。博士(学術)。ブラジリア大学文学部外国語・翻訳学科准教授を経て、現在、国際日本文化研究センター機関研究員。主要著書:『ブラジル日系移民の教育史』(みすず書房、二〇一六)、『越境と連動の日系移民教育史―複数文化体験の視座』(ミネルヴァ書房、二〇一六、井上章一との共編著)、Cinqüentenário da Presença Nipo-Brasileira em Brasília.(FEANBRA, 2008, 共著)、その他。
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2018年 日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨

2018/10/02 19:22
〔自由発表要旨〕

○宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」論――雑誌『児童文学』が与えた視座――

服部峰大

 昭和七年三月、文教書院から発刊された雑誌『児童文学 第二冊』に掲載された宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」は、「ありうべかりし賢治の自伝」と呼ばれ、「雨ニモマケズ」に代表される賢治の思想を重ねて読まれて来た。「グスコーブドリの伝記」には、その前稿として「グスコンブドリの伝記」があり、この改稿により、主人公が自己中心的偉人から、他者の為の偉人に変更されたとの指摘が既になされている。
 本発表では、ブドリの「笑い」を中心に、掲載誌である『児童文学』の編集方針が、本作の改稿にいかなる影響を与えたのかについて考察したい。
 清水正は、ブドリと百姓の断絶を指摘し、ブドリの自己認識を「〈理想と使命〉に燃える〈立派な人間〉」とし、その自己認識は「作者によっても保障されている」としている。しかし、作者はブドリの自己認識を肯定していたのだろうか。
 確かにブドリと百姓の間に断絶は存在している。だが、ブドリは本当に、そのことに最後まで無自覚だったのか。改稿後、書き加えられた「楽しい五年間」、ブドリが死を決意する要因の一つとなる「笑い」に注目し、改稿前後を再検討することで、グスコーブドリを批判的に捉える視点の存在を明らかにする。
 では、なぜこのような改稿がなされたのか。掲載誌である雑誌『児童文学』は、「純粋童話、詩的童話」を合言葉に、子供向けの童話を批判していた。努力や修養を主題に据えた伝記物に注目が集まる中、「グスコーブドリの伝記」には、それら既存の児童文学を批判する読みが内在していたのである。

○野上弥生子『台湾』の視座――日本人作家の視察と理蕃政策―
渡邊ルリ

 野上弥生子は一九三五年十月、始政四十年記念博覧会開催中の台湾を総督府政務長官夫人平塚茂子の招きで訪れ、紀行文『台湾』(『改造』一九三六・四〜五/『朝鮮・台湾・海南諸港』一九四二・八)を発表した。総督府長官邸到着の翌朝、弥生子が原住民族を知るため全島一周を願い出たことにより、総督府は新たなスケジュールを用意し、巴達岡・花蓮・大武・霧社等での原住民との面会を設定した。霧社事件から五年後、埔里で整列した「霧社蕃」の人々を見せられた弥生子は、事件の場所や生活の見学を新たに求め、官憲側に味方したパーラン社を訪問している。
 原住民に関する弥生子の見解と想像は、官憲側から与えられた情報をもとに展開するが、その発言はさらに、同行した文教局の河崎ェ康によって批判される(『台湾時報』一九三六・二)。弥生子の言説には無自覚的な原住民族への優越意識を含むエキゾティシズムが見られるが、その一方で弥生子は、芸術と教育について自由主義的感覚を持ち、原住民の文化保存、経済生活の変化を「正しく」導く必要、内地人の「偉さ」を植え付ける国粋主義的教育への懸念に加え、警察による原住民教育の継続を疑問視する見解を発言していた。これは理蕃政策に沿って官憲が弥生子の視察に期待したものと、逆行していたのである。
 本発表では、『台湾日日新報』『台湾愛国婦人新報』等を参照しつつ、『台湾』における弥生子の視座が、理蕃政策の影響下にありつつそれを超える要素を持つことを検証する。それは第一に、弥生子の文化・教育に対する感性であり、第二に、原住民知識人の描写が、語り手(弥生子)の優越意識による人間洞察の限界を示しながらも、その複雑な内面を読者に感知させる点である。

○「龍山寺の曹老人」論――日本統治期台湾における探偵小説と台湾民俗保存活動――
辻明寿

 金関丈夫(一八九七〜一九八三)は台北医学専門学校助教授として来台し、終戦まで台北帝国大学医学部教授をつとめた。一九四一年に池田敏雄等と共に『民俗台湾』を創刊、台湾の民俗を研究する傍ら、台湾で最初の本格的探偵小説『船中の殺人』や「龍山寺の曹老人シリーズ」等を日本語で執筆した。
 「龍山寺の曹老人シリーズ」に関する先行研究では金関が探偵小説というジャンルの特性から台湾人に対する教育的な意味をすべり込ませているという指摘や、曹老人の日本帝国の言説に寄り添った説教は、作者である金関が発表媒体である『台湾公論』のテイストを意識したものだったという指摘がある。
 日中戦争勃発後、台湾総督府は皇民化運動を開始し、台湾の既存の宗教に対する多くの改革を行い、台湾独自の宗教儀式は抑圧されていった。龍山寺も曹洞宗の末寺となり、教育事業等を通じて台湾民衆の皇民化をすすめていた。
 しかし、「龍山寺の曹老人シリーズ」では日本帝国が推進する皇民化運動は描かれず、当時抑圧されていたはずの台湾独自の宗教儀式が描かれている。金関は『民俗台湾』において民藝紹介をしつつ、同時に目に見えない文化の保存の重要性を訴え、「人間の気風の良さ」の保存の重要性を説いていた。「龍山寺の曹老人シリーズ」において、民藝紹介では描けなかった当時の台湾人の信仰の形式や気風を小説という形式を用いて保存しようとしていたと考えられる。
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2018年 日本近代文学会関西支部秋季大会 ご案内

2018/10/02 19:13
【プログラム】

日時 2018年11月10日(土)13時〜
場所 花園大学 無聖館5階・無聖館ホール
 →交通アクセスキャンパスマップ

■開会の辞
花園大学学長 丹治光浩

■研究発表
・宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」論――雑誌『児童文学』が与えた視座―― 服部峰大
・野上弥生子『台湾』の視座――日本人作家の視察と理蕃政策―― 渡邊ルリ
・「龍山寺の曹老人」論――日本統治期台湾における探偵小説と台湾民俗保存活動―― 辻明寿

■講演
大正震災後、関西文芸の海洋体験 根川幸男

■閉会の辞
支部長 浅子逸男

※総会終了後、花園大学「ふるーる」にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生3000円)の予定です。奮ってご参加ください。
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会報27号

2018/05/07 17:04
2018年5月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。

こちらからPDFデータでご覧いただけます。
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2018年日本近代文学会関西支部春季大会 発表要旨

2018/05/07 16:51
■シンポジウム「更新される〈明治〉」

〔趣旨〕

 二〇一八年は、明治維新(あるいは戊辰戦争)から数えて一五〇周年に当たる。政府は、「明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なこと」――として、官民を挙げた顕彰活動につとめている。そもそも歴史とは、「現在と過去との絶え間ない対話である」(E・H・カー)とすれば、〈明治〉という「過去」は、「現在」の要請において、様々に解釈され、意味づけられてきたといえる。その時々において、日本近代文学はどんな役割を果たしたのだろうか。
 たとえば、同じく生誕一五〇周年を迎える夏目漱石が、「維新後四五十年」を振り返って、「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」と喝破したのは一九一一(明治四四)年のことである。その数年後、明治維新から五〇周年にあたる一九一八年には、芥川龍之介の「開化期もの」と呼ばれる作品群が登場する。そして、その五〇年後には、政府による大々的な「明治百年記念式典」(一九六八年)が催され、その直前には、『産経新聞』紙上で、司馬遼太郎『坂の上の雲』の連載が始まっていた。『思想の科学』や『中央公論』誌上を賑わせていた明治維新をめぐる活発な議論も忘れることはできない。私たちの歴史地層には、こうした〈明治〉にまつわる共同記憶が埋め込まれているのだろうか。
 むろん〈明治〉は、五〇年周期以外にも必要に応じて都合よく召喚された。満州事変以後、高唱されるようになった「昭和維新」(第二維新)は、いうまでもなく明治維新をトレースしたものだし、林房雄、島崎藤村、保田與重郎などの〈明治〉へのコミットも、なにがしかの因果関係をもつだろう。戦後、明治百年記念祭の委員を務めた林房雄は、三島由紀夫との対談(『対話・日本人論』一九六六)のなかで、「明治を体験的には知らないのだから郷愁のもちようがない」と述べつつも、「民族の核心的性格」による「巨大なエネルギー」の「爆発」こそが明治維新だったと力説している。こうした〈明治〉への熱量は、『奔馬』(一九六七〜一九六八)で昭和の神風連を描いた三島由紀夫にも共有されていたに違いない。
 そして、二〇一八年・現在はどうなのか。その時々の歴史状況をふまえつつ、〈明治〉を主題化した作家やテクストを比較対照することで、それぞれの時代の文化的無意識や文学の果たした役割をあぶりだしてみたい。

〔発表要旨〕
○芥川龍之介の江戸と明治――奠都五十年言説の中で――

奥野久美子

 明治五十年にあたる一九一七(大正六)年をどのように迎えるかについては、明治が大正にあらたまる前から議論され、奉祝事業案が出されていた。迎えた一九一七年、春に上野公園では奠都五十年奉祝博覧会が開かれ、奠都の道行をたどる東海道のジオラマが注目を集め、駅伝の嚆矢とされる「奠都記念マラソン・リレー」も開催された。秋には三越で明治風俗展覧会も催された。また二度目の東幸が行われた一八六九年から五十年にあたる一九一九(大正八)年五月には、七日に皇太子(昭和天皇)成年式、九日に奠都五十年祭と、盛大な祝賀行事が続いた。
 このような、明治を回顧し新時代を展望する時代風潮の中、芥川龍之介は「或日の大石内蔵之助」「戯作三昧」(大正六年)、「世之介の話」「枯野抄」(大正七年)などの江戸ものと同時に、「開化の殺人」(大正七年)、「開化の良人」(大正八年)という開化期ものを発表した。処女作「老年」(大正三年)で、江戸と近代のはざまに佇む老人を描いた芥川は、江戸と明治という二つの時代が「美しい調和を示していた」(「開化の良人」)開化期に強い関心を寄せ続けた。本発表では、その生育環境にも影響された芥川の中の〈江戸〉について考えつつ、この時期の芥川作品、特に開化期ものを、奠都五十年言説の中であらためて読み直すことを試みたい。


○〈明治維新百年祭〉が呼び起こしたもの――『大東亜戦争肯定論』と戦後価値の揺らぎ――
内藤由直

 一九六〇年代、竹内好や桑原武夫の呼びかけによって惹起した〈明治維新百年祭〉を巡るカンパニアは、明治期を中心とした近代日本の歩みを再検討し、新たに評価し直そうとする機運を高めた。『思想の科学』や『朝日新聞』、『歴史学研究』などの雑誌・新聞が論争の場を提供し、文学者や歴史学者が入り乱れての議論が展開されたのである。
 なかでも、『中央公論』連載後に刊行された林房雄『大東亜戦争肯定論』(番町書房 一九六四〜五年)は、近代日本の歴史を「東亜百年戦争」という独創的な認識枠組みの中で肯定的に評価したことで、物議を醸したものである。『大東亜戦争肯定論』の眼目は、一九四五年の敗戦に至る近代日本の一連の戦争過程を、植民地解放闘争として位置づけることにあった。これに対して、近代日本の戦争を帝国主義時代の侵略戦争と見る議論や、GHQが敷衍した歴史観に依拠して軍国主義暴走の経緯を批判的に捉える反論などが現れ、喧々囂々たる様相を呈したのである。
 当時の議論を読み返すと、竹内たちの企図した百家争鳴が、確かに実現したように思われる。それでは、論争の果てに、近代日本のどのような問題が解決され、何が課題として残されたのだろうか。また、カンパニアの底意には、そもそもいかなる文学的閉塞の打開が意図されていたのであろうか。
 本発表では、『大東亜戦争肯定論』を中心に据えて、近代日本の歴史を更新しようとした一九六〇年代の議論を振り返りながら、〈明治維新百年祭〉カンパニアの目的と到達点を見極めていく。その上で、論争の係争点に垣間見える戦後文学思想の揺らぎを剔抉したい。

○三島由紀夫がまなざす明治――政治とエロスのあわい――
有元伸子

 「文化概念としての天皇」を言挙げした一九六〇年代後半の三島由紀夫は、義を開顕するために死を恐れず行動した者たちの系譜として、明治維新前後の大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛らを召喚する(「革命哲学としての陽明学」)。一方で三島は、自身の思想的姿勢として、バタイユを援用しつつ、「無理にでも絶対者を復活」させ、「死に至るまで快楽を追求して」「エロティシズムを完成」するのだとも述べる(古林尚との対談「三島由紀夫最後の言葉」)。
 それは天皇に対する一方的な恋闕の情であるとともに、昭和神風連を目指した「奔馬」の主人公・飯沼勲がテロ決行による瀕死の仲間との別れを甘美に夢想したような、男性同士のホモエロティシズムを濃密にまとったものでもあるだろう。三島は、西郷が親友の勤皇僧・月照とともに薩摩の海に入水したものの一人生き残り「太虚」を垣間見た神秘体験こそが、西南の役の「無償の行動」を促す原動力となったとも解説する。
 ところで三島は、一九六八年に、明治百年記念芸術祭のために文化庁から委嘱されてバレエ台本「ミランダ」を書く。自身の代表的戯曲「鹿鳴館」と同じ明治一九年秋の東京を舞台に、イタリアのチャリネ大曲馬団の来日公演に材をとり、「欧化主義と日本主義の対立融合といふ明治維新の課題」を「恋愛心理の表現」により描いた作品である(日生劇場プログラム)。
 天皇への恋闕、男同士のホモエロティシズムと男女の恋愛劇。本発表では、明治という時代に向けられた三島のまなざしを、政治とエロスのあわいから考えてみたい。

○明治維新五〇年、六〇年の記憶と顕彰――一九一七年、一九二八年の政治文化――
高木博志

 今年は、明治維新一五〇周年である。もっとも明治維新の記憶や語られ方は、明治、昭和とのちの時代の変化にともなって、また語り手の立場によっても多様である。
 一八六七年(慶応三)一二月九日の王政復古では、「神武創業」が理念にかかげられた。古代の天皇親政が理想である。しかし「明治維新」は、薩長など勝ち組のものであって、会津・仙台など負け組の「賊軍」にとっては、屈辱の記念碑であった。明治初年に会津藩戦死者の死体は放置され、一八八九年(明治二二)憲法発布の「大赦」で戊辰戦争「賊軍」の罪は許された。薩長から東北諸藩まで、はじめて天皇のもとで「臣民」として平等とみなされた。
 こうして薩長の新政府と「賊軍」とされた幕府や会津・仙台などの東国との明治維新観の分裂から、一八八九年の大日本帝国憲法発布にともない「臣民」となり、日清・日露戦争を契機とする天皇制に包摂される国民が成立した。
 戊辰戦争五〇年の一九一七年(大正六)ころには戊辰戦争を実際に体験した世代は亡くなり、全国の地方城下町においても幕藩制以来の旧藩主に代わって、皇室の権威が地域社会を覆ってゆく。戦争体験者の喪失と、そのリアリティの希薄化、歴史化の状況は、戦後七〇年を過ぎ、アジア・太平洋戦争の経験者が少なくなった現代と似ている。
 一九二八年(昭和三)は、戊辰戦争から数えて満六〇年で、戊辰の還暦であった。そして昭和大礼と重なった。前年の金融恐慌、張作霖の爆殺事件と、泥沼の戦争が始まる時代閉塞のなかで、かつての明治維新や「明治大帝」といった、「近代化」の起点が顕彰された。
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2018年 日本近代文学会関西支部春季大会 ご案内

2018/04/27 00:50
【プログラム】

日時 2018年6月2日(土)12時30分〜
場所 京都大学 吉田キャンパス 吉田南構内 京都大学大学院人間・環境学研究棟 地階大会議室
 →交通アクセスキャンパスマップ

■開会の辞
京都大学大学院人間・環境学研究科研究科長 杉山雅人

■シンポジウム
○趣旨説明・司会 ホルカ・イリナ、黒田俊太郎、山本歩

○発表
・芥川龍之介の江戸と明治――奠都五十年言説の中で―― 奥野久美子
・〈明治維新百年祭〉が呼び起こしたもの――『大東亜戦争肯定論』と戦後価値の揺らぎ―― 内藤由直
・三島由紀夫がまなざす明治――政治とエロスのあわい―― 有元伸子
・明治維新五〇年、六〇年の記憶と顕彰――一九一七年、一九二八年の政治文化―― 高木博志

○質疑および全体討議

■閉会の辞
支部長 浅子逸男

■総会

※総会終了後、本部構内「カフェレストラン カンフォーラ」にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生3000円)の予定です。
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事務局の移転

2018/04/27 00:34
2018年4月から事務局が移転しました。

〒602-8580
京都市上京区烏丸今出川東入ル 同志社大学日本語・日本文化教育センター 弘風館505
木谷真紀子 個人研究室内

日本近代文学会
関西支部事務局

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お問い合わせは下記にお願いいたします。

kindaikansai [a] gmail.com
※[a]を@に読みかえてください。
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2018年度春季大会について(予告)

2017/12/20 00:13
2018年度春季大会は、6月2日(土)に、京都大学で、「更新される「明治」」(仮)という企画を予定しております。
詳細については、今しばらくお待ちください。
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秋季大会(2017年11月11日開催)の開始時間について

2017/10/05 13:27
会報では、秋季大会は13時30分開始となっておりますが、臨時総会を開催するため、13時開始に変更になっております。

お気をつけてください。
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会報26号

2017/10/05 13:24
2017年10月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。

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2017年日本近代文学会関西支部秋季大会 発表要旨

2017/10/05 13:12
〔自由発表要旨〕

◯明治三五年の東本願寺紛擾――遠因としての成島柳北――
天野勝重

 成島柳北は明治四年に現如上人が東本願寺浅草別院に設置した真宗東派学塾の塾長として迎えられ、これがきっかけで翌年の上人たちの欧米への漫遊に柳北も随行することになる。その時の記録が『航西日乗』(「花月新誌」一八八一年〜一八八四年)であるが、柳北以外の随行者の一人として、石川舜台という名が散見される。舜台の名は『海外見聞集』(岩波書店、二〇〇九年六月)巻末の「『航西日乗』人名注・索引」によれば本文中に一七回登場しており、「本山の重職を歴任し、制度改革や人材育成、また海外布教などに尽力した」と注記されている。吉川弘文館『国史大辞典』や『真宗人名辞典』(法蔵館、一九九九年七月)といった辞典類も、この内容と大きな違いはない。実際彼の人脈によって大谷派は韓国進出を他宗派より早く行うことが可能になったと考えられるし、そこが彼を評価する上での基軸とする見方が大勢である。
 しかし、実は舜台と現如は、明治三五年に非常に大きな、宗門を巻き込んだスキャンダルを起こし、「読売新聞」に約一ヶ月に及び記事を掲載されることになる。このことからも、決して辞典に書かれていることだけが全てではないことが浮かび上がってくる。
本発表では、そうしたスキャンダルが発生するに至った背景とその原因を「読売新聞」の記事を中心に考察するとともに、彼等の行動原理の形成に、柳北との洋行があった可能性について考える。

◯永井荷風『花瓶』論――「花瓶」の象徴性をめぐって――
アブラル・バスィル

 永井荷風『花瓶』(「三田文学」大正五年一・二月)では、政吉夫婦にとって記念の品だった「花瓶」の絵を、家庭の不和に悩む友人で画家の燕雨が描くに至る過程を中心に、両夫妻の有様が語られている。従来、絵の完成は「『腕くらべ』の出現を示唆するもの」(吉田精一『永井荷風』八雲書店、昭和二二年)であるほか、「芸術の勝利」(坂上博一『永井荷風論考』おうふう、平成二二年)も象徴しているとも解釈されてきた。
 本発表では、小説の構成の分析を通じて、登場人物たちの内面と相互の関係を再考し、作中の「花瓶」が象徴するものを明らかにしたい。物語の前半では、お房と政吉の過去が現在と交錯したかたちで語られる。そこで過去の出来事を時間軸に沿って整理してみると、二人の結婚は政吉が会社を辞めた事情と前後して起きたのだという事実が判明する。この事実はお房と政吉の「花瓶」に対する思いの正体を現す一方で、燕雨がいう「己が家の住憂ひ事と政吉の家の平和幸福な事」やそれ故に創作される「花瓶」の絵について再考することを可能にする。
このような考察を通じて「花瓶」が各々の人物が追求する〈幸福〉の正体を象徴的に表していることが明らかになるはずである。また、芸術に対する燕雨と政吉の心理の分析は、同時期の荷風小説にたびたび描かれる芸術志向の意義を捉え直すことにつながるだろう。

◯江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」完成の地の今昔
宮本和歌子

 雑誌『新青年』大正一四年八月号に発表された江戸川乱歩の短篇小説「屋根裏の散歩者」は、しばしば彼の代表作の一つに数えられる有名な作品である。乱歩はこの作品の前半部分を、当時居住していた現在の大阪府守口市の借家で書いたことを複数の随筆などに書き残している。後半部分を書き完成させた場所については、乱歩の実父が宗教的な病気治療のために参籠していた「三重の山奥」としか記しておらず、その具体的な地名は長く不明であったが、「屋根裏の散歩者」を完成させた場所が三重県亀山市関町にある岩屋観音という小さな寺であることが判明した。
 岩屋観音は江戸時代には多くの参拝者で賑わい、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵も残っているが、東海道を旅行する客の減少に伴い荒廃し忘れられた地となっていた。従って乱歩が訪れた大正時代以降の様子は史料にはほとんど残っておらず、乱歩が「屋根裏の散歩者」を完成させた場所について机上でのみ特定しようとすることは不可能に近かった。目星をつけた場所で高齢の地元住民への聞き取りを行った結果、乱歩実父の参籠地が岩屋観音であることだけでなく乱歩の実父に病気治療を施していた人物の氏名や生没年も判明した。その人物が亡くなって七〇年以上経過した現在でも現地には彼の信奉者がおり、独自の信仰形態を形成している。今回の発表では、史料にはほとんど残っていない大正時代から現在までの岩屋観音の実態を中心に報告する。

◯幸田露伴「幻談」における固着、切断、創意工夫をめぐって
吉田大輔

 幸田露伴(一八六七―一九四七)の「幻談」(『日本評論』一九三八・九月)をめぐる先行研究はすでに一定の蓄積があるが、これまであまり検討されてこなかった論点を本発表ではふたつ挙げ、この作品を再検討したい。
 一点目は、「幻談」前半部のウィンパー『アルプス登攀記』を典拠とする再話と、「幻談」後半部に語られる船上での出来事(これも再話の形をとる)は、主題の近接のみではなく、細部の類縁性によっても接続されているのではないか、という点である。このふたつの話をめぐって、これまでの議論では、死、あるいは死者との遭遇があったのちになんらかの「幻」を見るという主題的近接が主に強調されてきた。だが、それに加えて、なんらかのひも状のもの(ロープ、釣絲)が固着し、ふいに切断される、という細部の類縁性によっても接続されている点を再考したい。
 二点目は、「幻談」後半部と、類話との差異である。「幻談」後半部の類話の存在は、すでに指摘されている。だが、それらの類話と「幻談」後半部の差異から見えてくるものは、これまであまり議論されてこなかった。本発表では、類話との大きな差異のひとつを、後半部において重要な役割を果たす「釣竿」や「釣絲」がいずれも金銭によって購われたものではなく、水死者自身の創意工夫が結実した事物として登場する点にあると捉え、露伴が人間の創造をどのように捉えていたかという観点から、その意義を考察したい。
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2017年 日本近代文学会関西支部秋季大会 ご案内

2017/10/05 11:06
【プログラム】

日時 2017年11月11日(土)13時
場所 近畿大学 東大阪キャンパス A館3階301教室
 →交通アクセスキャンパスマップ
*会報では、秋季大会は13時30分開始となっておりますが、臨時総会を開催するため、13時開始に変更になっております。お気をつけてください。

■開会の辞
近畿大学文芸学部教授 佐藤秀明

■研究発表

◯明治三五年の東本願寺紛擾――遠因としての成島柳北―― 天野勝重
◯永井荷風『花瓶』論――「花瓶」の象徴性をめぐって―― アブラル・バスィル
◯江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」完成の地の今昔 宮本和歌子
◯幸田露伴「幻談」における固着、切断、創意工夫をめぐって 吉田大輔

■臨時総会

■閉会の辞
支部長 浅子逸男

※総会終了後、カフェテリア・ノベンバー(11月ホール地下)にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生3000円)の予定です。
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会報25号

2017/05/06 14:51
2017年5月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。


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2017年日本近代文学会関西支部春季大会 発表要旨

2017/04/29 21:47
〔自由発表要旨〕

○安部公房「赤い繭」――変形する皮膚、変形する身体認識――
岩本知恵

 安部公房「赤い繭」(一九五〇年一二月)は、家がないために休むことができず歩き疲れた主人公が繭へと変形する物語である。変形によってできた繭はようやく手に入れた「おれの家」であるのだが、この繭は「おれ」自身の身体が変形したものであるために「今度は帰ってゆくおれがいない」。こうした変形の顛末はこれまで、帰属のなさのメタファーとして、あるいは所有の問題として読解されてきた。しかしここで本発表が着目したいのは、変形が失敗したかのように描写されるという点である。
 安部の変形譚について、岡庭昇や小林治は、変形は変質ではなく元来の身体の在り方が顕在化/可視化したものだと述べている。これを受けて田中裕之(二〇〇三)は、変形するものそれぞれの特徴への着目を重要視し、「通常は比喩を形成すべきものがレトリックの次元を超えて実際に形象化されてしまう」ものだと述べる。また、谷川渥は安部の変形譚について皮膚との関わりの重要性を指摘している。皮膚が身体の境界として身体認識や自己認識を確定していくものであると捉えると、この指摘は興味深い。
 本発表では、身体の変形を経験する主人公にとって変形は比喩ではなく、身体認識が変容しているのではないかという側面から変形を考える。一体何が主人公の変形(身体認識の変容)を誘発したのか、変形を介して獲得する認識はどのようなものなのか、そして変形が失敗したかのような描写が何を示しているのかについて考えたい。

○武田泰淳とJ‐P・サルトル――『風媒花』における『自由への道』の影響をめぐって――
藤原崇雅

 戦前期より紹介されつつあったJ‐P・サルトルの文学や哲学は戦後、人文書院版全集が刊行されたことで人口に膾炙した。大岡昇平といった仏文学者から椎名麟三のような作家まで、多様な人々がサルトルを読み、その思想を受容していく。
 武田泰淳も、この全集を読んだ一人である。中国文学研究会をめぐる身辺の状況が記された代表作『風媒花』(『群像』一九五二・一〜一一)の自注「私の創作体験」(中野重治ほか編『現代文学⑵』一九五四、新評論社)で彼は、「サルトルの『自由への道』のだいぶ影響を受け」た、と述べる。泰淳は『自由への道』全三部(佐藤朔ほか訳、一九五〇〜一九五二、人文書院)を読み、それを踏まえ小説を創作した。この事実は先行論で指摘を受けているものの、詳細な比較検討はなされてはいない。本発表では『風媒花』と『自由への道』の影響関係の考察を通じ、戦後の日本文学におけるサルトル受容の一側面を明らかにしたい。
 端的にいえば、泰淳はサルトル小説における、登場人物の現実認識の不可能性を表現する構造に注目し、自らの創作に用いている。泰淳にとってサルトルの文学は、単なる思想というよりも、小説の構成方法を知る契機としてあった。これは『自由への道』に、哲学的な思索を読み込む同時代の他の受容とは、異なったありようを示すものとして独自である。
 なお、『風媒花』と『自由への道』との共通点および相違点を論証する過程で、中国文化の研究会に属している人物のモデルや、趙樹理『李家荘の変遷』(島田政雄ほか訳、一九五一、ハト書房)が引用されることの意味にも言及する。


〔連続企画第四回 趣旨〕
視差から立ち上がるもの


 この連続企画の主眼は、一九二〇・三〇年代の関西の文芸文化を対象に、これまで見過ごされてきた人・風土・メディアなどを発掘しつつ、従来の「関西」表象や思考枠を問い直すことにあった。締め括りとなる今回は、その総括として、これまでの個別具体的な議論を踏まえつつ、やや広い視点から対象を捉え返してみたい。
 両大戦に挟まれた当時の日本は、世界規模の経済的・社会的変動を背景に、急激な都市化を遂げつつあった。それに伴う社会基盤の変化は、そこに住む人々の生存の条件も変えていった。「関西」なる地理的概念も、そこに根ざす文芸文化も、そうした国内外の緊張関係のなかで吟味する必要があるだろう。
 具体的には、第一次世界大戦や関東大震災がもたらしたもの、二〇年代から三〇年代にかけての時代相の推移、「中央」・「地方」・「関西」の関係性、世界的同時性における都市モダニズムの影響、それらすべてが輻輳する関西文芸文化の傾向性など、問うべきことは少なくない。
 また、それを担った当事者たちも一様ではなかっただろう。たとえば、関西出身でありながら、中央文壇とのかかわりで、戦略的に「関西」と向き合おうとしたもの。別の場所から関西に流着し、そこでの生活や労働を通して、表現の可能性を見出そうとしたもの。あるいは関西のメディアに関与し、みずから情報を発信しつつ、独自のネットワークを形成しようとしたもの、等々。それらが交差する地点を見定めるのも今回の課題となるだろう。
「《異》なる関西」とは、さまざまな当事者の視差を通してしか立ち上がらないのではないか。連続企画の最終回に、発表者のみならず多くの参加者のなかから、「《異》なる関西」の片影が立ち上がることを期待したい。

○大阪朝日新聞神戸支局員と鯉川筋神戸画廊の活動から見えてくる神戸の文化空間
大橋毅彦

 前回の大会では、一九二〇年代の「大阪朝日新聞」神戸附録を通して見えてくる問題系が考察の俎上に上ったが、本報告の前半では、それを受け継ごうと思う。ただし、素材と考察角度はやや違えて、同附録の「雑草園」を主宰する岡成志・坪田耕吉・藤木九三といった神戸支局員らが、その後彼らの辿った経路が分かたれていったのとはある意味では対照的に、この時期、それぞれの才幹を生かして、どのように協働しながら、神戸の文化的土壌を耕す動きをとっていったのかを、「雑草園」の外にまで目を向けて考察する。具体的には、「神戸芸術文化聯盟」の機関誌「おほぞら」(一九二四・三)の存在を注視する。
 発表後半は、元大阪毎日新聞神戸支局員大塚銀次郎によって一九三〇年に鯉川筋に開かれた「神戸画廊」に集った詩人と画家との交流が、太平洋戦争の激化に伴って閉廊するまでの間において、いかなるムーヴメントを作り出していったかを、画廊機関誌「ユーモラス・ガロー」を基に考える。他紙(誌)からの転載も含めて、竹中郁・川西英といったお馴染みの書き手も登場するが、記事全体の傾向を見ていくと、そこにはハイカラな神戸と同居する異なった神戸のイメージも浮上してくる。また、「上海に馴染の深い連中」との関わりが気になってくる記事もある。北園克衛が主催する「VOU」同人の浅原清隆がこの画廊に関係している。どういう結論を導き出せるか分からないが、少なくとも「雑草園」の園丁たちの活動を通じて見られた時とは異なる種々の力線が神戸の文化空間を走り始めているのを感じる。時間が許せば、「神戸版画の家」の存在や、同人の多くは西宮在住、しかるに寄稿家連の中には北園克衛、井伏鱒二、崎山猶逸・正毅兄弟がいる同人誌「薔薇派」、さらにまた小田実の小説「河」なども補助線として、この点を明らめたい。

○二人の五代友厚――直木三十五の「大阪回帰」をめぐって――
尾崎名津子

 直木三十五は大阪―東京を往還しながら生きた。その途上で、プラトン社の社員時代に本格的な創作活動を開始し、また、菊池寛との関係を礎として『文藝春秋』の常連寄稿者となることを通じ、作家としての地位を確立したといえよう。そうした在り方は、永井龍男に「たいていの人には其生国らしい雰囲気なり、習慣なりがあるものだが、直木さんにはそれがない」(『故郷の無い人』)と言わしめ、「放浪者」としての直木像を造形させもした。
 いわゆる東京〈文壇〉の中心人物となった直木は、最晩年に幾度か大阪を題材として執筆した。それは山ア國紀が述べたように、「大阪回帰」(『知られざる文豪 直木三十五』)のようにも見える。具体的な著作に『大阪落城』や『大塩平八郎』(ともに1933年)などを挙げることができるが、本発表では『五代友厚』(1932年)を取り上げる。この作品は『直木三十五全集月報』第3号(1934年)の広告で「長篇小説」と紹介されているが、「私」=直木による〈大阪人〉への説教、会話劇、史料の引用など、質の異なる記述が混在する構成を具えている。こうした方法や記述の分析から、直木が五代、あるいは大阪を要請するモチベーションの在り処を可視化してみたい。その際は「ファシズム宣言」との脈絡も問うことになるだろう。
 また、検討の際にはもう一人の五代にも登場してもらう。それは、織田作之助『五代友厚』(1942年)である。東京〈文壇〉の当事者である直木と、〈文壇〉との距離において自らの位置取りを試みた織田、それぞれの視座を突き合わせたところに浮上する視差から、幻視された〈関西〉の姿が見えてくるのではないだろうか。

○宣言としての言葉をどう再読するか――関西沖縄県人会機関紙『同胞』を読む――
冨山一郎

 一九二〇年代以降の沖縄では、「蘇鉄地獄」と呼ばれるすさまじい経済的不況により、沖縄の外で生き延びることが常態化していった。この「蘇鉄地獄」は、グローバルな資本の再編過程に起因するものであり、アジア太平洋戦争末期に宇野弘蔵が大東亜共栄圏における「広域経済」として議論していく事態でもあるが、いずれにしても当時東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪は、こうした沖縄から流れ出した人々の生きていく場となったのである。こうした人々は、その場を自らが生きる場として、どのように描き出していったのか。あえて大袈裟にいえばそこには、グローバルな資本の展開を自らの歴史としていかに獲得するのかという問いがある。
 沖縄を出た人々は、『同胞』、『大阪球陽新報』、『関西沖縄興信名鑑』、『沖縄県人住所案内』などの多くのメディアを生み出した。これまでこうしたメディアに所収されている文章は、社会運動や歴史研究の実証資料として用いられてきた。しかし報告では、こうした資料を、自らの生きる場を描き出し、なぜその場にいるのか、またその先にどのような未来をつかもうとしたのかということを考える言葉として、受け止めてみたい。その際、これまであまり検討されなかった、こうしたメディアに所収されている詩、歌、エッセイ、コラム、肖像写真、挿絵なども取り上げる予定である。先取りしていえば、こうしたジャンル横断的な表現は、現実の表象というより、「自分たち」と「生きていく場」を先取りしようとするある種の宣言ではないだろうか。それは沖縄からの流民たちが未決の未来に向けて歴史を確保しようとする言葉たちであり、報告ではそこに浮かび上がる大阪を、考えたい。
 その際重要なのは、宣言において「自分たち」すなわち「我々=同胞」が先取りされようとするとき、刻印されていく傷があるということだ。それは神島二郎が「過去を語らない人々」と述べたこととも深くかかわる。周知のように神島は出郷した者たちが都市で作り上げる「自分たち」を「第二のムラ」と呼んだが、同時にこの「ムラ」に収まらない人々とその人々において抱え込まれた歴史があることを指摘しているのである(神島二郎『政治をみる眼』NHKブックス、一九七五年)。ここに宣言の宣言たるゆえんがある。宣言はやはり、無理に「我々」を創出し、歴史を獲得しようとする言葉なのだ。注視したいのはこの無理にかかわる強い思いであり、そして傷である。そこに別の言葉が始まらないか。再読において担いたいのは、この問いだ。
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2017年 日本近代文学会関西支部春季大会 ご案内

2017/04/29 21:41
・日時 2017年6月3日(土)午後1時〜
・場所 同志社大学 今出川キャンパス・良心館 3階303教室
 →交通アクセスキャンパスマップ


【プログラム】

■開会の辞
同志社大学文学部教授  田中励儀

■自由発表
○安部公房「赤い繭」――変形する皮膚、変形する身体認識―― 岩本知恵
○武田泰淳とJ‐P・サルトル――『風媒花』における『自由への道』の影響をめぐって―― 藤原崇雅

■連続企画「《異》なる関西――1920・30年代を中心として――」
第四回「視差から立ち上がるもの」

○趣旨説明・司会 田口律男・木谷真紀子

○発表
・大阪朝日新聞神戸支局員と鯉川筋神戸画廊の活動から見えてくる神戸の文化空間 大橋毅彦
・二人の五代友厚――直木三十五の「大阪回帰」をめぐって―― 尾崎名津子
・宣言としての言葉をどう再読するか――関西沖縄県人会機関紙『同胞』を読む―― 冨山一郎

○質疑および全体討議

■閉会の辞
支部長  浅子逸男

■総会

※総会終了後、「アマーク・ド・パラディ」(寒梅館1階)にて懇親会を開催します。会費は5000円(学生・院生3000円)の予定です。
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事務局の移転

2017/04/29 21:23
2017年4月から事務局が移転しました。

〒560-8532
大阪府豊中市待兼山町1-5 大阪大学大学院文学研究科
斎藤理生研究室内

日本近代文学会
関西支部事務局

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お問い合わせは下記にお願いいたします。

kindaikansai [a] gmail.com
※[a]を@に読みかえてください。
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2017年度関西支部春季大会 自由研究発表募集のお知らせ

2016/11/02 22:29
日本近代文学関西支部では、2017年度春季大会での自由研究発表を募集いたします。支部会委員の皆さまの積極的な応募をお待ち申し上げます。

日時会場  2017年6月3日(土)/於 同志社大学

応募締切  2017年1月31日(火)必着

応募要領  
 発表題目及び600字程度の要旨を封書でお送りください。
 必ず連絡先(電話番号、メール・アドレスなど)も明記してください。

発表時間は30分程度です。
採否については、運営委員会で決定次第お知らせいたします。

※発表に関してご不明の点は事務局までおたずねください。
(お問い合わせ先:kinji@mukogawa-u.ac.jp)

送付先
       〒663-8558 
       兵庫県西宮市池開町6-46 
       武庫川女子大学文学部 山本欣司研究室内 
       日本近代文学会関西支部事務局
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会報24号

2016/11/01 00:20
2016年10月1日付で日本近代文学会関西支部会報を発行しました。

こちらからPDFデータでご覧いただけます。  >>会報24号

*本文データの容量が大きいので、ダウンロードに時間がかかる場合があります。
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連絡先

〒602-8580
京都市上京区烏丸今出川東入ル 同志社大学日本語・日本文化教育センター 弘風館505
木谷真紀子個人研究室内

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関西支部事務局

kindaikansai
[a]gmail.com

※[a]を@に読みかえてください。

※住所などの会員情報の変更は上記メールアドレスにお願いします。

※関西支部事務局からの郵便物(大会の案内など)が届いていない場合は、お手数ですが、事務局にメール等でご連絡下さい。


関西支部の刊行物 『作家/作者とは何か』

『京都近代文学事典』

『兵庫近代文学事典』

『村上春樹と小説の現在』

『海を越えた文学―日韓を軸として』

『文学研究における継承と断絶―関西支部草創期から見返す』

『滋賀近代文学事典』

『近代文学のなかの“関西弁”―語る関西/語られる関西』

『鉄道―関西近代のマトリクス』

『大阪近代文学事典』
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