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zoom RSS 2017年日本近代文学会関西支部春季大会 発表要旨

<<   作成日時 : 2017/04/29 21:47   >>

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〔自由発表要旨〕

○安部公房「赤い繭」――変形する皮膚、変形する身体認識――
岩本知恵

 安部公房「赤い繭」(一九五〇年一二月)は、家がないために休むことができず歩き疲れた主人公が繭へと変形する物語である。変形によってできた繭はようやく手に入れた「おれの家」であるのだが、この繭は「おれ」自身の身体が変形したものであるために「今度は帰ってゆくおれがいない」。こうした変形の顛末はこれまで、帰属のなさのメタファーとして、あるいは所有の問題として読解されてきた。しかしここで本発表が着目したいのは、変形が失敗したかのように描写されるという点である。
 安部の変形譚について、岡庭昇や小林治は、変形は変質ではなく元来の身体の在り方が顕在化/可視化したものだと述べている。これを受けて田中裕之(二〇〇三)は、変形するものそれぞれの特徴への着目を重要視し、「通常は比喩を形成すべきものがレトリックの次元を超えて実際に形象化されてしまう」ものだと述べる。また、谷川渥は安部の変形譚について皮膚との関わりの重要性を指摘している。皮膚が身体の境界として身体認識や自己認識を確定していくものであると捉えると、この指摘は興味深い。
 本発表では、身体の変形を経験する主人公にとって変形は比喩ではなく、身体認識が変容しているのではないかという側面から変形を考える。一体何が主人公の変形(身体認識の変容)を誘発したのか、変形を介して獲得する認識はどのようなものなのか、そして変形が失敗したかのような描写が何を示しているのかについて考えたい。

○武田泰淳とJ‐P・サルトル――『風媒花』における『自由への道』の影響をめぐって――
藤原崇雅

 戦前期より紹介されつつあったJ‐P・サルトルの文学や哲学は戦後、人文書院版全集が刊行されたことで人口に膾炙した。大岡昇平といった仏文学者から椎名麟三のような作家まで、多様な人々がサルトルを読み、その思想を受容していく。
 武田泰淳も、この全集を読んだ一人である。中国文学研究会をめぐる身辺の状況が記された代表作『風媒花』(『群像』一九五二・一〜一一)の自注「私の創作体験」(中野重治ほか編『現代文学⑵』一九五四、新評論社)で彼は、「サルトルの『自由への道』のだいぶ影響を受け」た、と述べる。泰淳は『自由への道』全三部(佐藤朔ほか訳、一九五〇〜一九五二、人文書院)を読み、それを踏まえ小説を創作した。この事実は先行論で指摘を受けているものの、詳細な比較検討はなされてはいない。本発表では『風媒花』と『自由への道』の影響関係の考察を通じ、戦後の日本文学におけるサルトル受容の一側面を明らかにしたい。
 端的にいえば、泰淳はサルトル小説における、登場人物の現実認識の不可能性を表現する構造に注目し、自らの創作に用いている。泰淳にとってサルトルの文学は、単なる思想というよりも、小説の構成方法を知る契機としてあった。これは『自由への道』に、哲学的な思索を読み込む同時代の他の受容とは、異なったありようを示すものとして独自である。
 なお、『風媒花』と『自由への道』との共通点および相違点を論証する過程で、中国文化の研究会に属している人物のモデルや、趙樹理『李家荘の変遷』(島田政雄ほか訳、一九五一、ハト書房)が引用されることの意味にも言及する。


〔連続企画第四回 趣旨〕
視差から立ち上がるもの


 この連続企画の主眼は、一九二〇・三〇年代の関西の文芸文化を対象に、これまで見過ごされてきた人・風土・メディアなどを発掘しつつ、従来の「関西」表象や思考枠を問い直すことにあった。締め括りとなる今回は、その総括として、これまでの個別具体的な議論を踏まえつつ、やや広い視点から対象を捉え返してみたい。
 両大戦に挟まれた当時の日本は、世界規模の経済的・社会的変動を背景に、急激な都市化を遂げつつあった。それに伴う社会基盤の変化は、そこに住む人々の生存の条件も変えていった。「関西」なる地理的概念も、そこに根ざす文芸文化も、そうした国内外の緊張関係のなかで吟味する必要があるだろう。
 具体的には、第一次世界大戦や関東大震災がもたらしたもの、二〇年代から三〇年代にかけての時代相の推移、「中央」・「地方」・「関西」の関係性、世界的同時性における都市モダニズムの影響、それらすべてが輻輳する関西文芸文化の傾向性など、問うべきことは少なくない。
 また、それを担った当事者たちも一様ではなかっただろう。たとえば、関西出身でありながら、中央文壇とのかかわりで、戦略的に「関西」と向き合おうとしたもの。別の場所から関西に流着し、そこでの生活や労働を通して、表現の可能性を見出そうとしたもの。あるいは関西のメディアに関与し、みずから情報を発信しつつ、独自のネットワークを形成しようとしたもの、等々。それらが交差する地点を見定めるのも今回の課題となるだろう。
「《異》なる関西」とは、さまざまな当事者の視差を通してしか立ち上がらないのではないか。連続企画の最終回に、発表者のみならず多くの参加者のなかから、「《異》なる関西」の片影が立ち上がることを期待したい。

○大阪朝日新聞神戸支局員と鯉川筋神戸画廊の活動から見えてくる神戸の文化空間
大橋毅彦

 前回の大会では、一九二〇年代の「大阪朝日新聞」神戸附録を通して見えてくる問題系が考察の俎上に上ったが、本報告の前半では、それを受け継ごうと思う。ただし、素材と考察角度はやや違えて、同附録の「雑草園」を主宰する岡成志・坪田耕吉・藤木九三といった神戸支局員らが、その後彼らの辿った経路が分かたれていったのとはある意味では対照的に、この時期、それぞれの才幹を生かして、どのように協働しながら、神戸の文化的土壌を耕す動きをとっていったのかを、「雑草園」の外にまで目を向けて考察する。具体的には、「神戸芸術文化聯盟」の機関誌「おほぞら」(一九二四・三)の存在を注視する。
 発表後半は、元大阪毎日新聞神戸支局員大塚銀次郎によって一九三〇年に鯉川筋に開かれた「神戸画廊」に集った詩人と画家との交流が、太平洋戦争の激化に伴って閉廊するまでの間において、いかなるムーヴメントを作り出していったかを、画廊機関誌「ユーモラス・ガロー」を基に考える。他紙(誌)からの転載も含めて、竹中郁・川西英といったお馴染みの書き手も登場するが、記事全体の傾向を見ていくと、そこにはハイカラな神戸と同居する異なった神戸のイメージも浮上してくる。また、「上海に馴染の深い連中」との関わりが気になってくる記事もある。北園克衛が主催する「VOU」同人の浅原清隆がこの画廊に関係している。どういう結論を導き出せるか分からないが、少なくとも「雑草園」の園丁たちの活動を通じて見られた時とは異なる種々の力線が神戸の文化空間を走り始めているのを感じる。時間が許せば、「神戸版画の家」の存在や、同人の多くは西宮在住、しかるに寄稿家連の中には北園克衛、井伏鱒二、崎山猶逸・正毅兄弟がいる同人誌「薔薇派」、さらにまた小田実の小説「河」なども補助線として、この点を明らめたい。

○二人の五代友厚――直木三十五の「大阪回帰」をめぐって――
尾崎名津子

 直木三十五は大阪―東京を往還しながら生きた。その途上で、プラトン社の社員時代に本格的な創作活動を開始し、また、菊池寛との関係を礎として『文藝春秋』の常連寄稿者となることを通じ、作家としての地位を確立したといえよう。そうした在り方は、永井龍男に「たいていの人には其生国らしい雰囲気なり、習慣なりがあるものだが、直木さんにはそれがない」(『故郷の無い人』)と言わしめ、「放浪者」としての直木像を造形させもした。
 いわゆる東京〈文壇〉の中心人物となった直木は、最晩年に幾度か大阪を題材として執筆した。それは山ア國紀が述べたように、「大阪回帰」(『知られざる文豪 直木三十五』)のようにも見える。具体的な著作に『大阪落城』や『大塩平八郎』(ともに1933年)などを挙げることができるが、本発表では『五代友厚』(1932年)を取り上げる。この作品は『直木三十五全集月報』第3号(1934年)の広告で「長篇小説」と紹介されているが、「私」=直木による〈大阪人〉への説教、会話劇、史料の引用など、質の異なる記述が混在する構成を具えている。こうした方法や記述の分析から、直木が五代、あるいは大阪を要請するモチベーションの在り処を可視化してみたい。その際は「ファシズム宣言」との脈絡も問うことになるだろう。
 また、検討の際にはもう一人の五代にも登場してもらう。それは、織田作之助『五代友厚』(1942年)である。東京〈文壇〉の当事者である直木と、〈文壇〉との距離において自らの位置取りを試みた織田、それぞれの視座を突き合わせたところに浮上する視差から、幻視された〈関西〉の姿が見えてくるのではないだろうか。

○宣言としての言葉をどう再読するか――関西沖縄県人会機関紙『同胞』を読む――
冨山一郎

 一九二〇年代以降の沖縄では、「蘇鉄地獄」と呼ばれるすさまじい経済的不況により、沖縄の外で生き延びることが常態化していった。この「蘇鉄地獄」は、グローバルな資本の再編過程に起因するものであり、アジア太平洋戦争末期に宇野弘蔵が大東亜共栄圏における「広域経済」として議論していく事態でもあるが、いずれにしても当時東洋のマンチェスターと呼ばれた大阪は、こうした沖縄から流れ出した人々の生きていく場となったのである。こうした人々は、その場を自らが生きる場として、どのように描き出していったのか。あえて大袈裟にいえばそこには、グローバルな資本の展開を自らの歴史としていかに獲得するのかという問いがある。
 沖縄を出た人々は、『同胞』、『大阪球陽新報』、『関西沖縄興信名鑑』、『沖縄県人住所案内』などの多くのメディアを生み出した。これまでこうしたメディアに所収されている文章は、社会運動や歴史研究の実証資料として用いられてきた。しかし報告では、こうした資料を、自らの生きる場を描き出し、なぜその場にいるのか、またその先にどのような未来をつかもうとしたのかということを考える言葉として、受け止めてみたい。その際、これまであまり検討されなかった、こうしたメディアに所収されている詩、歌、エッセイ、コラム、肖像写真、挿絵なども取り上げる予定である。先取りしていえば、こうしたジャンル横断的な表現は、現実の表象というより、「自分たち」と「生きていく場」を先取りしようとするある種の宣言ではないだろうか。それは沖縄からの流民たちが未決の未来に向けて歴史を確保しようとする言葉たちであり、報告ではそこに浮かび上がる大阪を、考えたい。
 その際重要なのは、宣言において「自分たち」すなわち「我々=同胞」が先取りされようとするとき、刻印されていく傷があるということだ。それは神島二郎が「過去を語らない人々」と述べたこととも深くかかわる。周知のように神島は出郷した者たちが都市で作り上げる「自分たち」を「第二のムラ」と呼んだが、同時にこの「ムラ」に収まらない人々とその人々において抱え込まれた歴史があることを指摘しているのである(神島二郎『政治をみる眼』NHKブックス、一九七五年)。ここに宣言の宣言たるゆえんがある。宣言はやはり、無理に「我々」を創出し、歴史を獲得しようとする言葉なのだ。注視したいのはこの無理にかかわる強い思いであり、そして傷である。そこに別の言葉が始まらないか。再読において担いたいのは、この問いだ。

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